雑記録〜動きの中で考えたこと
最近、私事ながらいろいろなことがめくるめく動いている気がする。
なんやかんやで、やはり、木。
木の名前もろくに覚えてないくせに、と自分でツッコミをいれるんだけど。やはり木と本、そして旅と芸術が私の心をくすぶる。引き続き、どこに向かうか分からぬ衝動が私を動かすだろう。
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つい先日山梨の友人のイベントに参加した。「わ〜〜!!」と話して急激に楽しかったりという訳でなく、とても自然な流れ。初めて会った人や2年ぶりの再会だったりした人との対面だけれども、今まで語り合った仲、みたいな感じ。そして、ほとんど同じ感覚や考え方なのだ。
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少し前の私なら、すがって、人の区分けに対する線引きがすごかった。「こう考えてないやつはだめだ」みたいなことを(頭の中でだけど)平気で言うような人。
ところがどっこい。最近では、「あの人はあの人、これが好きな人はこれが好き、でいいんだよなあ」と思えるようになってきた。
敵と味方に分けて、味方の中に安全圏の壁を作って過ごしてたんだけどなあ。今は敵だと思ってた人が味方で、味方だと思ってた人が変な馴れ合いのない仲間で。「無敵」の世界があるんだなあ。まだまだ修行の身ながら、この「無敵」の世界に生きていたいと思う。
Live with you
家主がいない家で留守を任されるというまさかの事態。人生、ありえないことが容易く起きるから面白い。
先ほど、近くの道の駅に買いものがてら歩く。木を見ると、私は木を生かし、生かされてるんだな、調和して生きるんだなあという言葉が降りてきた。
自然は全て体現してくれている。こちらの認識が追いついていなくて、気づかないだけだ。木は多分もう何千何百もの情報を教えてくれている。
いろいろなことが頭に浮かび、流れてゆく。「共に生きる」のはこれからのテーマ。そろそろ新しいステージに行く事になりそうだ。その先に新たなわくわくがあると信じよう。
厳しさから楽しさへ
最近見た星読みの動画で、太陽の中心が真ん中じゃないところにあって、そうやって回ってるから、基本的にブレて動いてることというのを見て、そうか!と思った。ブレるのが当たり前だ。(ヴィッパサナーのときのアニッチャー(変化する)のが当たり前だ!というのと同じ発見)
ブレながら進む。
同じところに戻ってるのかと思うけど、
それでも進む。
歩みをとめなければ、今すぐじゃなくても、
生み出されるものがある。
厳しさではなく楽しさへ。
わくわくする方へ向いて歩め。
その好きなことに責任を持ちなさい。
自分を見失った未来の自分よ。
大丈夫、そのまま行きなさい。
人に叶えてもらうのではない。自分で叶えなさい。
昨日、いつもお世話になってるご夫婦の元へ。もうすぐ引っ越してしまうから、もう都内のこのお家で会うことはないかもしれない。
とにかくいつも「あなたはあなただよ、その道を行きなさい」と飽きることなく教えてくれる。(もう分かってよ!と思ってるかも…そろそろいい意味で諦めます)
圧倒的な肯定力と、人をわくわくさせる力を持った2人だなと改めて思う。
私がカッコいいと思う人は、私から見たらキレイだ。その人からしたら、のたうち回った過去があるのかもしれないけど、少なくとも私の前ではキレイなのだ。
悶々とした葛藤、それに対していじけ、どうしようもなく人に当たる(内にこもる感じで)ことが繰り返されてるような気がして。
その人たちから比べると…みたいな思考が働く。でもその人たちはその人たちの悩みがあるんだろう。
昔投稿した自分のFacebookが教えてくれた。「誰かが夢を叶えるんじゃなく、自分が叶えるんだよ」
空気と水と土と
ゆっくり堂で行われた、「大地の再生講座」で有名な矢野さんのイベントに参加する。
矢野さんの言ったことは、ものすごく当たり前のことだった。空気と水と土。それをただ自然に習い、循環させる。不自然なところ(人工的に作ったところ)は変える。ただ、ちょっとした工夫をするだけ。
聞いていると、早く現場に出たいと思った。なんなんだろう。もう頭で考えるより、感覚を研ぎすませた方が良さそうだな。
体で感じる感覚を研ぎ澄ませる。機械も人間の手の延長線上。
そして現場で感じた疑問は常に持ち続けること。矢野さんはそれを30年やってきたらしい。
私は矢野さんとはちょっと違うかもしれないけど、私の感覚でアプローチしたい。
大切なのは、自分を信じること。
ときに諦めそうになるけど、そこは諦めずに。
星に学ぶ
知り合いの方に星読み講座について、教えてもらったので、早速見てみることに。
アウトプットが重要だということだったので、ここで書いてみようと思う。
【太陽系の話】私達は地球をはじめ、さまざまな惑星が太陽の周りをいつもぐるぐると回っていると学校で習った。
が、しかし!
太陽は常に走り続けているから、同じところではぐるぐる回っていくことにならない。常に変化しているのだそう。
なんだか胸に突き刺さる。ヴィッパサナーのアニッチャー(パーリ語で「変化している」の意)と同じだ。
同じポイントで突き当たる、と思ってるけど、実はぐるぐると変化している。安定というのはやはりなく、ただそう見えているだけなのだ。
変化するのが怖いけれど、変化を受け止めることが大切。ゆったり自分の中を見つめること。
「自分を真ん中に」
私はやっぱり自然(特に木)とともにいたい。そして木と人の間にいたいと思う。素敵な出会いの中で遊びたい。
Indian night
昨日は、親方さんつながりで知り合えた素敵なご夫婦に会ってきた。カレーをいただきながら話す。
「好きなことは続けるでしょう。それが結局続いてるってことなんじゃないの?」
「人生はなるようになるから大丈夫よ」
ありがたくも、私の周りには、私を否定せずに受け入れてくれたり、応援してくれる人がいる。私はかなり戸惑い、迷い、悩みに満ちているけど、そんなカッコ悪い自分を受け入れてくれる度量の深さに感動する。
でも逆の立場になると、どれほど年齢を積み重ねてても自分に正直な人には「正直にそのまま行け!」と思う。その真っ直ぐさを無くしてほしくない。
一ヶ月時間の大幅なしばりの中で働くと、偏る。「自分の内」には鈍感で、そこに埋もれていく。「自分の外」しか見てない。(見てるつもりだったけど)やっぱり瞑想は大切だ。いつもそこに戻ってくる。今日も自分の内なるものに拝。