「常識」というしばり

私は、「常識」が苦手だ。同じように「当たり前」という言葉も苦手だ。そもそも、その「常識」や「当たり前」が何かわからない。それは社会の中でも、もっと言うと個人によっても違う気がする。「ある人の中の常識」に過ぎない。(それを多くの人と共通認識だと思わせるように言うからややこしくなる)

 

私の過去の常識は、昔から中国の儒教の思想。ほとんど自由奔放に生きるお母さまから生まれたくせに、逆にガチガチの思想になっていた。

 

高校の倫理の授業で、担任の先生から老子の思想を聞かされたときは、革命が起きたと思った。

「受験生にこんなこと言うのもあれだけど(授業受けてたときは高校3年生)、大きな岩があっても岩をこじ開けてトンネルを作ろうとしない。水の流れるように生きるのが老子の考え方なんです」

 

そんな私の最近の座右の銘は、「人間(じんかん。人ではなく、世間という意味らしい)万事塞翁が馬」。最低限のことができれば、オッケーだと思えてきた。(人に迷惑かけないとか)