ゆるさを携えて

茅葺き職人さんの元へ2週間お世話になった。そのときに聞いたことの中に、いくつか庭師の親方さんと共通の話題があった。
そのひとつが、一緒に働く人(仕事に入ってくれる人)は、できれば「職人になりたい」と思ってくれる人がいいな、ということ。
確かに、すぐいなくなる人にわざわざ教えるのは手間だよなあ。茅葺き職人さんの元ではこう思っていた。

確実に現場で役に立っていない(少なくとも私はそう思ってる)私。かれこれ庭師の親方さんと一緒にいて一年近くになる(のべにすればもっと少ないけど)。
ぶっちゃけて言うと、未だに「職人になりたい!」という考えは一ミリくらいしかない。ときどき「なるかもなあ」くらいだ。それなのによく続くなあと自分でも思う。そんなモチベーションなのに(だからよく揺れる)なぜ関東までわざわざ行って(地元は関西)、庭仕事(と言ってもほぼ掃除)をしているのかというと、やっぱりなにより楽しいから。
庭師の親方さんも人間的に好きだし、体動かせるし、木とともにいられるし。

でも、それでいいのだろうか?
私が独り立ちしないのなら、親方にとっては教える意味なくない?いっぱいもらった分、どこで返せばいいんだ?

頭が疑問符でいっぱいになる。
考えても分からなかった。
だから、(だいぶ熟成させたけど)直接庭師の親方さんに聞いてみた。

結果オールオッケーだった。楽しんで仕事してくれたらいいじゃん、くらい。
むしろ、資格じゃないけど、技術ありゃ何かの役に立つかもよ、みたいな話までしてくれた。庭師になりたいならなればいいけど、ならなくても仕事は教えるし、差別する気はないとのこと。

私が「こうだったらいいな」と思うことをそのまま言ってくれたから、結構びっくりだ。親方さんがいいって言ってるんだから、余計に気を遣う必要も悩むこともなくなった。

いつか私が地元に完全に戻ろうが、どこか違うところに行こうが、何してようが、そのときできることを親方さんにやりたい。それだけは、将来も間違いなく思ってるだろう。

余力があれば、寛大な経営者になって、私がしてもらったことを次の人にやってやれる場を作りたいかも。(自由に試す実験室みたいなところ)